日本人は暦を大切にして過ごしてきました。
大切な日ハレの日 。
ケガレは気が枯れているとき。
日本の風土と先人の知恵が紡がれている暦
その心豊かな感性は暦の流れがもたらしている。
これから、日本の心でもある日本の暦(こよみ)を紹介していきたいと思います。
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日本の暦(こよみ)の歴史を知る。
日本の暦の流れとストーリー。
暦の変わるとき、政治や国の在り方もかわります。世をつかさどる世代交代のとき、
新規一転、暦も変えるのでしょうか?
日本の暦の始まりは、604年(推古天皇、推古12年)百済からきた僧侶、観勒(かんろく)が、天文、暦、陰陽道を日本に伝えました。中国から朝鮮半島、そこから日本に伝わるわけですが、当時、海を越えるのは、相当な苦労があったでしょう。
中国では、太陽太陰暦が使われていました。太陽と月の運行でつくられた暦です。
太陽の運行を12の数で分けた「二十四節気」、うるう年を挿入する「章法」、天球を28の数で分けた「二十八宿 」それらがすこしずつ変化していったようです。
日本でも「二十四節気」は馴染み深い暦の一つです。
季節の24の節があり、春分、秋分、夏至、冬至などは、天気予報などでも聞いたことがあるかもしれませんね。
「二十八宿」の暦は聞き慣れないかもしれませんが、日本の古墳は「二十八宿」をもとにつくられています。
陰陽道が主流になり、
賀茂家、安倍家のりょうけ主流の、天文道、暦道は、明治のころまでつづきます。映画にもある陰陽師、安倍晴明は有名な陰陽師でした。
江戸時代前期には、渋川春海が、それまでの暦を改め、日のずれを減らし日本の為の暦、貞享暦(じょうきょうれき)が用いられます。
作家 沖方丁(うぶかた とう)さんの「天地明察」は、渋川春海さんの物語。渋川春海の暦をつくり上げていく姿に感動しました。
明治維新がおこり、世の中の流れがかわります。
暦もいよいよ明治政府により、明治5年11月に、太陽暦(グレゴリオ暦)に改暦が発表され、翌年明治6年から現在の私たちのなじみ深いカレンダーのスタイルとなっています。
季節を表現する日本の暦(こよみ)について。
日本の道がつくところ、やはり暦は外せません。
暦は、国の政治てき背景もあったのかもしれませんが、
文化として、和歌や短歌、茶道、香道、花道、日本画などから
春夏秋冬、土用のめぐりは、四季折々を楽しみ、敬い、豊な文化を育てました。日本人の感性はこの先も続いていくことを願います。
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しなやかで美しい日本の暦(こよみ)から学ぶ。
ハレの日、特別な日、折り目、節目、お祝い事の日、晴レの日といって特別な素晴らしい日。
ケガレ、という語源、ケは常をあらわします。ケが枯れる。ケガレは、常のケが枯れている様をあらわします。
この言葉は、民俗学の柳田国男氏が感じた言葉の背景には、日本人の感性と民族性に胸があつくなります。
日本神話では、
太陽の神様、アマテラスオオミカミ。
月の神様、ツクヨミノミコト。
風の神様 スサノオノミコト。
と、天と空の神様がうまれます。日本神話など、人間らしいストーリーもありますが、神羅万象が神様とされ、そこに人間らしいストーリーもあります。。それには、天地自然を敬うための教えと、人が志を持って生きれるような、ふたつの視点の教えが織りこまれているように感じます。
稲作のお米には、沢山の自然のちから(神様達)が宿るとして、御神事でお供えされます。お米を神聖な神様の贈り物として、田んぼの神様は、大地全て方角からのいのちを、また、天からのいのちをつかさどる神様としてまつられています。
天と地の自然のめぐみを暦として、太陽太陰暦の在り方のひとつです。
お箸を持ち、神様と一緒にイノチをいただく感謝の思いは後世にも残していきたい日本のたいせつな心です。
日本神話の神様、ツクヨミノミコトは、ツキヨミ、月の満ち欠けをつかさどる神様。
昔の闇夜は、さぞ暗かったことでしょう。そのなかで、出る十五夜の日は、家族みんなで、収穫や五穀豊穣をツクヨミノミコトと祝ったのかもしれませんね。
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日本の暦(こよみ)からの贈り物。
古くからのしきたりには、明治前の旧暦のなごりが、今も感じられます。
春夏秋冬という季節を活かしともに生きてきた日本の心が暦(こよみ)のなかに感じられるのではないでしょうか?
旧暦は、自然とともに生きてきた、日本人のこころが記録されている。未来に〝こころ〟を忘れないよう指し示しているようです。
最後まで、お読みいただき誠にありがとうございました。
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